普段の買い物100円と投資の損失100万円は全く別物

投資の原理原則

はじめに とある書き込みに反応

ブログだかTwitterだか忘れましたが、こんな文章がありました。

株で100万円損しても何も思わないのに、買い物は100円、なんならそれ以下の違いでも一喜一憂してます。

金銭感覚がおかしいと自分でも思うのですが、投資している人ならこの気持ちわかりますか?

みたいな感じでした。

みなさんこれを読んでどう思ったでしょうか。

 

私は「はぁ?何訳わかんないこと言ってんだコイツ」と思ったので、その鬱憤を今回は吐き出させてもらいます。

 

 

大前提:お金に色はついてない

当然ながらお金に色はついていないので、勤労収入、ギャンブルの収益、投資の利益、死んだおばあちゃんから最後にもらったお年玉、全て同じ価値を持ちます。

全てのお金を等しく扱うことが経済合理的です。

とはいえ感情がついてこないのはむしろ自然で、ギャンブルとばあちゃんのお年玉を同じように扱えたら、人としての大事な何かが欠落しています。

 

 

投資の100万円と買い物の100円の違い

投資の利益や損失

それでは最初の、株の100万と買い物の100円はどう考えるべきでしょうか。

まず株(リスク資産)が100万円含み益が減った、含み損が増えたというのはただの価格変動です。

利益を追求するためにリスクを取った一時点での結果でしかなく、道で100万円落としたような損失とは全く別物です。

 

それでも確定損失は含み損とは違うと感じるかもしれません。

短期トレードの場合は利益や損失を繰り返すことで、狙ったリターンに近づけるものなので、これも1回で判断するものではありません。

 

含み益(利益)に関しても同様です。給料の30万円と含み益の30万円は全く性質の異なるお金です。

 

投資において、リスクはある程度コントロールできますが、リターンは市場に委ねるしかありません。

それを損した得したと実生活に混ぜて考えていたら、とても規律ある生活を続けることはできません。

 

 

生活の100円

私は昨日、ネットで7,000円くらいの買い物をしました。

キャンセルできない時間になってから、500円offクーポンがあったのに気づきました。

はらわたが煮えくりかえりそうな怒りと悲しさが3時間くらい続きました。

 

私の資産は7300万円ほどあるので、この500円が資産に占める割合は146,000分の1、0.00068%です。

一方資産の多くを株式などのハイリスク資産にしていますので、1日で100万円上下することも珍しくありません。

私の怒りや行動は非合理的なのでしょうか。

 

買い物の100円はリスク資産に投じた時の価格変動とは異なり、永久に覆らない消費です。

先ほどのクーポン500円が試行回数を重ねたからと言って、将来1000円のリターンになるわけではありません。

 

 

ここまで、お金に色はないが、リスク資産の変動と生活費は全く性質が違うと説明しました。

 

 

投資と生活はきっぱり切り離す

ウォーレンバフェットはビルゲイツとの会談の時、マクドナルドに行ってクーポンを使ったそうです。

またオマハの古住宅に今でも住んでいるようです。

ここまでくるとやりすぎな気もしますが、バフェットがお金の多寡でなく、行動規範を大事にしていることがわかります。

 

少なくとも資産形成期では、生活と投資を全く切り離して考えるべきです。

そのお金は同じものではないのですから。

取り崩し期になると、生活は資産額にどうしても影響されますが、それでも日々の支出をおざなりにして良いわけではありません。

 

それはそれ、これはこれ。これからも資産の変化にとらわれず、健全な生活を続けていきましょう。

 

 

まとめ

・投資と生活のお金は同一ではない
・投資の100万円と生活の100円では、100円をより意識すべき
・バフェットだってマックのクーポンを使う
・投資と普段の支出をきっぱり切り離して生活しよう

ある程度資産が増えたら、クーポンやポイ活から完全に卒業するというのは良い考えだと思います。

時間や労力をお金で買うのと同じですね。

私は勿体無くて辞められないですが。

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